なんか前回の終わりが余りに中途半端だった気がするから、前回の続きを書きます。(続きになっていない気もするが・・。)
例えば、何かに向かおうと思って突き進んでいた意志が、色々なことの積み重ねやタイミングの食い違いによって、少しずつ薄らいでいって、いつのまにか忘れていたりする。
そこでいつもぼくは考える。
一体あの意志は、何処に行ってしまったんだろう・・。
過去には確かにあったはずのものが、不確かになって、それが何なのかさえも解らなくなった時、自分が自分であることを当たり前のように認めている自分が許せなくなる。
その時その場所で発した言葉と意志は、相違などしていなかった。
でも、今は意志が変わっていて、そこに過去との矛盾ができる。
言葉は一筋の光になって、いつのまにか一人ぼっち。
そんな間違えのない人がこの世界に存在するだろうか?
・・恐らくしないだろうね。
自分の考えや生きる意味や歴史を事細かに記した伝記のようなものがあったとしても、心はもっと複雑に揺らいでいる。
多かれ少なかれ、みんな矛盾を生産しながら現在ある意志のもと生きている。
どんなに確かな理論や事実があっても、それだけで生を100%見出すことはできない。
だから心を持ち行き続けている限り矛盾は確実に存在し、現在進行形で生産している。
それならば、今ある意思が見出せなかったら?
この世界に生きる意味は?
生への執着か?
自殺願望がある人は?
つまり、例えそれが本能的なものだったとしても、それは意思というものになるんじゃないかと思う。
生きると言う意志。
逆があるとするならば死のうとする意志がすなわち生に直結する。
(もちろんそれは自殺と言うものが成立してしまうまでの意志になってしまうが・・。)
そう考えると、みんな自分と戦っているよね。
自分が蔑ろにしていた意思や選択が多過ぎると、
「若ければやりたいことがたくさんあったはずなんだ。」
って振り返る時が来る。大抵の人は。
多分、そんな時が来るまで気付かない。
自分が過去に手放してしまった意志や心が迷子になっていることに。
社会から逃げ出さないように頑張っていたら、意志や心が逃げていってしまったりして。
もう見つけられないかもしれないよね。
そうなると。
悲しいよね。
だけど例え100人が間違っていると蔑む意志でも、一つの愛が救うことがある。
それだけで、その意志に向かって行ける力になることがある。
数ある逆境を乗り越えて。
だから愛は光。
ぼくは、今の意志を胸に絶対離さない様に生きよう!
そう決めているから!やり遂げる!
確かな愛がまだこの胸にあるから!
今一度、決心をなぞってみよう。
ではでは。
(・・ってか、やっぱ全然前回の続きになっていなかったな。しかも何言いたいのか伝わらなさそうだなあ、この文章。)
【ビューティフルライフの最新記事】


